単身イタリアへ

料理人としてイタリアに魅せられ、
海を渡った男「本多征昭」

1962年、イタリアに魅せられ、夢と希望とともに
単身、海を渡ったカプリチョ-ザ創業者、本多征昭。
憧れの地、イタリアに渡った彼は
国立エナルクホテル学校に入学し、
当時、日本人のコックなどほとんどいない状況の中、
料理にかける情熱と絶え間ない努力で腕を磨き、
ヨーロッパのコンテストで数々の賞を受賞します。
その功績がイタリア政府に認められ、1970年3月、
日本で初めて開催された万国博覧会(大阪万博)の
イタリア館シェフとして派遣されました。
見事その大役を勤め上げ、一年後に帰国。
帰国後にはその実力を余すところなく発揮し、
数々のイタリア料理店を手掛けます。

小さな第一歩

それはほんの小さな、
けれども大きな希望に満ちた第一歩

そして34歳の春、渋谷の外れに6坪の
イタリアレストランを開店。
この小さな店こそがカプリチョ-ザの始まりです。
本場の技術、そして味と量を安価で提供する魅力。
カプリチョーザはたちまち行列の出来る店となり、
4年後には現在本店がある場所に移転。
20坪40席の店内はいつもお客様で賑わっていました。

苦難

創業者の死という苦難を乗り越えて
全国展開へ

本多は「お客様の喜ぶ顔が見たい。」
その一心で毎日調理場に立ち続ける。
しかし、病に倒れた彼は1988年7月に
44歳という若さでこの世を去りました。
病にかかる直前、(株)日本WDI(現(株)WDI)と
フランチャイズ契約を結び、
本多征昭のレシピをもとに日本中へ
カプリチョ-ザを展開していきました。

そして未来へ

現在、そして未来へ……。
受け継がれる、創業者「本多征昭」の熱き思い

一人でも多くの人の「美味しい」を聞くため、
味にこだわり続けた料理人、本多征昭。
彼のレシピの強さを受け継ぎ、今もその味は
生き続けています。
夢と希望を抱き、海を渡った彼の料理への情熱。
私達はその情熱を忘れることなく、
これからも新しい美味しさを提案していきます。